作ったゲームお知らせブログ(サイトA出張所)

がんばってゲームを作ったのでお知らせするブログだよ。みんなにも楽しんでもらえるといいなぁ。

【公開中】 学園棋神伝マインドル

学園棋神伝マインドルのイメージ

 

ボードゲームをしながら学園生活を満喫したりしなかったりする大長編ノベルゲーム。

Windows用全年齢対象フリーウェア。

公式サイトで正式版ダウンロード公開中。

・サイトA > Game > 学園棋神伝マインドル
コチラ→ http://www.site-a.info/game/mindll/

 

開発にSFMLを使用しています。ソースコードも公開してますので、そちらにご興味のある方もぜひどうぞです。

 

■ ストーリー
主人公は一度は甲子園にまで行った野球少年。
しかし肩を壊して引退を余儀なくされる。
もう野球はできない。今まで自分のすべてをかけて努力してきたものを失ってしまった。

「俺はこれから一体どうすればいいんだ……」

 

■ 製品情報
制作 サイトA (http://www.site-a.info/)
配布形態 フリーウェア
対応OS Windows7で動作を確認しました。
キャラクター画像 コミPo!』で作成。『GIMP』でいじりいじり。
年齢制限 0歳以上。胎児の人は大きくなってからきてね。
公開日 あなたがこのゲームの存在を知った日があなたにとっての公開日なんだぜ。
あなたのマシンで 動きますように!
プレイ時間目安 約60時間
エンディング数 ↓一応伏せ字。見たいお友達は反転させてね↓
全3ルート。ED合計5通り(微差分除く)

ゲーム制作日誌再掲:2019/06/01 より

■ 制作日誌再掲:2019/06/01 より(http://www.site-a.info/text/2019-06-01_0.html

マインドルの対戦パート作成

学園モノと言えば次の一手問題。



できました。ついにできましたよ〜。
適当に一問作るだけなのだから、ここまで作業を進めてきたこの私の手にかかれば楽勝!
と思っていたのに、こんなに苦労するとは思いませんでした。
死ぬほど苦労したのに、結局死ねないとは思いませんでした。
いや、わりと思ってましたけどね。お馴染みの同じ道。

どちらの選択肢を選んでも、後は分かれ道なしの一直線で勝負がついてしまう、と思います。
全宇宙で最もマインドルに詳しい私が言うのだから間違いありません。

できれば「実戦からの出題」にしたかったのですが、
コンピューターと対戦を繰り返しても、なかなか「ここから出題だ!」という局面が見出せず、
結局、人工的に作った局面です。
よく見ると「なぜこうなった?」という箇所が少々あるのですが、
全宇宙で最もマインドルに詳しい私以外は誰も気付かないでしょうから問題なしです。

ともかく今は「完成!」と言い張れる状態を目指して、後回しにしていた「穴」を埋めることが先決。
何なら後で差し替えればいいじゃないですか、ということで、今は振り返らずに突っ走りますよ。

で、その「穴」ですけど、後は何が残っているのでしたっけ?
実はもうあらかた埋まったのではないのでしょうか?
とりあえずこれで対戦イベントは一応全部片付いたのですよね? バランス調整は無視として。無視なのかよ。

はい。バランス調整はさておき、これで一応、対戦イベントのパートも含めて、
本文自体はすべて「埋まった」のではないでしょうか? そう言われればそんな気もします。
おお、めでたいではありませんか。そう言われればそんな気もします。
よーし、めでたい気がするぞ! わーいーわーい、という気がするぞ!

じゃあ実際、後は何が残ってるんでしたっけ?
まずは自殺ですよね。はい。
自殺以外で言うと、プロローグと、エンディングのムービー的なものと、チュートリアルと、
あとはUI回りを整えておきたい。

現状、右クリックしたときのメニューがこんな状態ですからね。


右クリックメニューって項目としては何が必要なんでしたっけ?
イロイロ必要な機能があった気がしつつ、結局今までこのまんま来てしまってます。
てことは、こんなもんでいいんじゃないですか? マジですか?
別に「機能が豊富」じゃなくてもヨイではないですかということで。

見た目はもうちょっと整えましょうかね。
これではいかにも「作りかけ」な感じなので、そこだけは誤魔化そう。誤魔化すのかよ。


プロローグはどうしようかな。
あらすじだけでいいか。いいですよね? マジですか。どんどん手抜き街道ですね。
要はですね、本文を読み始めるにあたってのですね、「そもそもなぜこうなったか?」という情報ということです。
前提条件として知っておいて欲しい情報、が伝わればそれでいい。
そういう情報を、説明的にならないように、気の利いた小エピソードを一つ……と考えてたんですが、
だったらもう、割り切って「説明!」でいいんじゃないの?
そう言われればそんな気がするじゃないかってやつです。悟りを開いたってやつです。エピソード仕立てにするなど煩悩!


チュートリアルは実は大昔にスクリプトエンジンの動作確認を兼ねて、
キャラクターなんとか機のキャラで作ったものがあったりします。
このバージョンのものは多分このままお蔵入りになりそうですので、せめてSSぐらい貼っておこうではありませんか。



じゃあ、これの立ち絵とセリフ回しを差し替えて完成ということにしょうかな。よし、そうしましょう。
目処が立った気がするぞ! めでたい気がするぞ!



問題はエンディングのムービー的なものだ。
どうしようかな。
ちなみに、なぜ「的なもの」という言い方を執拗に続けているのかと言うと、
ガチで「ムービーぃぃ!!」なモノにするのは手に余るので、現状のスクリプトの機能で実現可能なお手軽な何か、
という形で間に合わせられないかなと考えているからです。

ええっと……? エンディングのBGMが流れてて……?
適度なタイミングで背景画像が切り替わりつつ、素材提供元の先生方のクレジットを表示……?
という感じでいいのでしょうか?
こういうノベル的なもののエンディングって、どういうふうにするものなのでしょう?
よくわかりませんが、私は天才なので何とかなってしまうのでしょう。天才って本当に便利ですね。しみじみ。

それにしても疲れました。
少し休みたい。56億7千万年ほど休みたい。弥勒先輩、来るの遅すぎ。待ちくたびれたとはまさにこのこと。


しかし正味の話、56億年も経ったら地球はなくなってるんじゃないでしょうか?
というか現在の地球の年齢って、科学的には一応、大体46億年ってことになってるんでしたっけ?
それよりもさらに長いってことですよね。
惑星が誕生して、単細胞生物が発生して、知的?生命体が地表全土に広がるまでの時間よりも長い。

あるいは、その頃に「救ってあげますよ」として想定されている「衆生」と比較すると、
現在の我々は単細胞生物以下の「お話にならない」レベルってことなのでしょうか。
なるほど。弥勒先輩だって来る気しないわけですね。「地球? まだ "何もいない" じゃーん」とかなんとか。

> しかし正味の話、56億年も経ったら地球はなくなってるんじゃないでしょうか?

地球はさておき、人類に限って言えば、あと10年だって怪しい。
10年は言い過ぎかな? じゃあ11年。干支は今年を含めてあと一周で終わりです。がびーん。

> なるほど。弥勒先輩だって来る気しないわけですね。「地球? まだ "何もいない" じゃーん」とかなんとか。

ところがドッコイ、我々は「いる」わけです。
弥勒先輩のような未熟者にはわからないかもしれませんが、
我々は、確実に、こうして、「いる」わけです。
その程度のこともわからんヨソ者の菩薩なんてお呼びじゃない。

黙っておとなしく「救わせて」やる必要なんて1ミリもありません。
我々は我々で我々の未来を切り開いていこうではありませんか。
人間の人間による人間のための世界を!


とは言うものの。
実際、このままでは、ちょっと無理かな〜、って気はします。

あまりに「ドウショウモナイ」。
あまりに救いがたい。さしもの弥勒先輩だって無理なんじゃないですか? 救えるもんなら救ってみろってんだ。
ああ、なんだかんだと言い訳して「ちょっと待ってくれませんかねぇ、56億年ほど……」とか言ってるのは
怖気づいたってことなのですね。
いやいや、わかりますよ。だって見るからに「ドウショウモナイ」ですもんね。
これで救えとか言われても、おいおい勘弁してくれよ〜、って感じですよね。
先輩のお気持ちはよーくわかります。皆まで言うな。

何が「ドウショウモナイ」かと言えば、
そもそも、当事者自身、「どうにかしよう」という気がないってところが「ドウショウモナイ」。

わざわざ苦しいことをして、他人にも苦しみを押し付けて、巻き込み、巻き込まれ、
楽じゃないねぇ、楽じゃねぇだろ? わっしょいわっしょい!
などと不幸フェスティバルにウツツを抜かしてばかり。

今ここに弥勒先輩が来たら、「空気が読めないやつ」として袋叩きになるに違いありません。
そりゃ、落ち着くまでしばらく放っておこうってことになりますよね。56億年ほど……。



さて。
実際どうしたものかな。
弥勒先輩はアテにできないとして、実際、どうしたものかな。
我々自身で何とかするとか言って、実際、どうしたものかな。

生まれてくるということは苦しんで死ぬということです。
そもそもの始まりから、ここは呪われた世界です。
これは「考え」ではなく、端的な「事実」です。

それを承知の上で、実際、どうしたものかな。

いや、むしろ、それが承知されてないことこそが、現前する諸問題の直接的契機なのではないのですか?
まずはそこを承知してからが出発点であるはずなのに。
しかし承知していない人に向けて「承知せよ」と言って「ガッテン承知!」などということにはならないのもまた道理。
多くは「目を逸らす」か「行き止まりだと思ってふて腐れる」かのどちらかです。

最悪のことなら既に起きてしまった。
すべてを承知の上で、惑わされることなく、目を開けて、進んでいくことが、できないはずはないと思うのですが。
不屈の闘志で心ある踊りを。

そんなに難しいことじゃないでしょう?
と思うと同時に、
無茶振りにもほどがある、とも思う。


人を救おうだなんておこがましい、と誰かが言う。
それはその通り。しかしそんなのは悪魔の声だ。闘志を挫いて甘えさせる悪魔の声だ。
だって、私たちの願いは、そんなことでは、ないでしょう?
あえて私「たち」と言いました。

一体いつから、ここは「地球」だったのか?
一体いつから、この世はこのようだったのか? もちろんダジャレです。

さしあたり私にできるのは心温まるダジャレを申し上げることと、あなたの幸せを願うことだけです。


今日もあなたが幸せでありますように。


 

(再掲ここまで)


「学園棋神伝マインドル」完成版は以下のページで盛大に愛を込めて公開中ですヨ〜。

↓↓↓ www.site-a.info

ゲーム制作日誌再掲:2019/05/25 より

■ 制作日誌再掲:2019/05/25 より(http://www.site-a.info/text/2019-05-25_0.html

マインドルの対戦パート作成

学園モノと言えば棋譜再生モード。



今週は次の一手問題を作成するハズだったのに、なぜか棋譜再生モードが出来上がってました。不思議なこともあるものです。

適当に1問作るだけだから楽勝だぜ! という予定で、
コンピューターと対戦しながら問題を考えてたのですが、なかなか思いつかず、
片手間に棋譜再生モードを整えているうちに、いつの間にか一週間経過してました。恐ろしいこともあるものです。

棋譜再生モードの機能自体はわりと早い段階で実装はしてあったのですけど、
UIが後回しになっていたり、その他の部分をイジっているうちにバグが出るようになったりしていたので、
この際だからやっつけておいたというわけです。

それはそれでいいのですけども、次の一手問題が思ったより強敵なのでビックリです。このまま心臓が止まって死ねたらどんなにいいでしょう。
ともあれ、棋譜再生モードが整ったことですし、どうにかするしかありません。
私がどうにかするしかない。
なぜならOSをアップグレードしてセキュリティが完璧になってしまった以上、
私の代わりに親切な誰かにパソコンを操って作業してもらうことは不可能。セキュリティめ〜。

ちなみにその件について少々愚痴を言わせてもらうと、
未だに使い勝手に微妙な違和感があって、前の方がよかったなぁ〜、などと言っているうちに一週間経過です。恐ろしいこともあるものです。

今まで出来なかったことが出来るようになったということは特にないのに、
今まで出来ていたのに出来なくなったことならいくらでもある。
新しいバージョンなりのやり方、というものがあるのだろうとは思いつつ。
そもそもなんでバージョンを更新しなければならんのか、という疑問は残ります。


これに限らずパソコン関係全般についてですが、なんで更新を続けないとイケないんでしょうね?
ハッキリ言わなくても進歩なんてもう頭打ちです。こんなもんで充分じゃないですか。
しかし立ち止まることは許されない。

一つはよく言われるように「セキュリティ」ってやつですよね。
それを言われると泣く子も黙るしかありません。

それから、内部で使われている他のプログラム各種が更新されているから、
それに合わせて更新しないわけにはいかない、という事情もあるように思われます。

「古くなる」のはなぜかと言えば、「周囲の他のソフトが更新されているから」です。

だから、みんなで一斉に「もうこれ以上更新しない!」と決めて立ち止まれば立ち止まれるハズなのですが、
つまり、みんなで一斉に「もうこれ以上更新しない!」と決めない限り立ち止まることは不可能、ということです。

他人が動くから私も動きを止められない。

人間は欲深い、というフレーズは見事な迷信で、
全員バラバラに動き続けているから、他人とのズレを埋めるために、誰もが動きを止められない、
というのが実際のところと言えるでしょう。

やはり、コトの発端は人間が「一人の自己と複数の他者」という形式になったという時点に遡る。
こういう存在の形式をとり続ける限り、同じことの繰り返しとならざるをえません。もうヤダ。

そんな中、今回、唯一確実によくなったと断言できるのは、SSDにしたことで動作が軽快になったことです。
全般的にキビキビしますね。素晴らしい。
今まではちょっと大きめのソフトだと起動するのに数十秒、なんてこともザラでしたが、
大体どんなソフトでも「しゅるっ!」と立ち上がるようになりました。素晴らしい。快適とはまさにこのこと。
SATA 6G対応なのに最初はSATA 3Gのポートに差し込んでて「あんまり速くないなぁ〜」などと思っていたのもお約束です。

進歩は頭打ち、などと言いましたが、進歩しているところはしているということでしょうか。
と、見せかけて、こういうのが普及すれば、今度は、
こういう速度で動くということをアテにしてソフトウェアが製作されるようになっちゃうんでしょ?

「普及」とは何が「普及」するのかと言えば、え? HDDなんか使ってるの? じゃあ遅くってもしょうがないよね〜、
などというシャラくさい態度が「普及」するということに他なりません。
こういうものが出てきた、このタイミングで、ソフトウェアの側が一斉に立ち止まってくれるならいいのですが、
そんな協力的な態度は期待できないのでしょうね。悲しいことです。

ウィルスの作成者があの手この手でウィルスを進化させるから、OSの側もセキュリティを更新せねばならない。
ソフトウェアがあの手この手で更新をヤメようとしないから、ハードウェアを新調せねばならない。

みんなで一斉に動きを止めるしかないではありませんか。コノヤロ〜。

時間の流れとは他人との差分のことなのでした。
つまり結局、この世はこのようである(ダジャレ)、ということなのでした。悲しいことです。



> しかし立ち止まることは許されない。

ちなみに、経済の観点から言うと、お金の仕組みも関連しているということになりそうですね。

経済活動はお金を介して行われるわけですが、
お金というものは使っても消えてなくなるわけではなく、相手のものになるだけなのであり、
全体的な数字の総量は変わりません。誰かの支出は誰かの収入、というやつですね。

お金は人から人へ移動している。ではその源流まで遡るとどこに行き着くかと言えば、
銀行からの借金です。

模式的に言えば、
「企業が銀行から融資を受けて従業員を雇って給料として支払う」
というやつですね。

労働で賃金をもらうのは「お金の発行」ではない。
労働者が労働して賃金をもらっても、雇用主の財布から自分の財布に所持金が移動するだけなのであって、
世の中のお金の総量が増えるわけではない。
世の中のお金の総量が増えるのは、「誰かが銀行から借金をしたとき」ですね。

お金はすべて元を正せば必ず誰かの借金ですので、
したがって、世の中にあるプラスの金額とマイナスの借金は常に同額……、と見せかけて、
借金には金利がつくので、借金の方が常に多い。しかも時間とともに膨らむ。
借金は返さなければならない。
返すためには経済活動を通して世の中からお金をかき集めなければならない。
そうして集めたお金も、元を正せば同じく誰かの借金なので、
その誰かは、また別の誰かから同額+利息分の額を集めて返済しなければならない。
そうして集めるお金もまた別の誰かの借金で生み出されたお金なのであり以下無限ループ。
しかも「誰かが返すべき金額」は利息を上乗せする分、ループを回せば回すほど増え続ける一方です。
さらに言えば、全額を返し切るために必要なだけの金額は世の中に存在しない。
常に私たちの中の誰かが返済に追われている。

つまり利息つきの借金としてお金が世の中に生み出されているというお金の仕組みがある限り、
経済活動を止めることはできない、ということになります。
「こんなもんでいいじゃん、もうヤメにしようよ」ということが許されない。利息がある限り。
個人的にはうまく帳尻を合わせて逃げ切ることは可能だとしても、それは結局、その分を別の人に押し付けていることになります。
椅子取りゲームが終わらない。
世間は立ち止まれない。

しかもその動力が「借金返済」というプレッシャーだと言うのがまた「手が込んでる」じゃないですか。
この世は不幸で回っている。

なぜこんな呪いをかけているのでしょう?
オカルトでもなんでもない。実際に呪いがかかってます。
なんでこんなことになっちゃてるんでしょう?

単なる経済の問題というよりも、もっと得体の知れないドウショウモナイ何かが作用しているように思われてなりません。


> しかもその動力が「借金返済」というプレッシャーだと言うのがまた「手が込んでる」じゃないですか。
> この世は不幸で回っている。

そういえば、人を動かすには不安や恐怖を煽るのが効率的、という話があったような気がします。
「お得ですよ!」などというのも不安の裏返し。余裕のない話。

そんなことをしないとこの世が維持できないならこの世なんて滅んでしまえばいいのに。

どうせなら、何かもっとプラスなことで地球を回していくことはできないものなのかな。
それとも、そんなことをするぐらいなら滅んだ方がマシということだったりするのでしょうか。実は。

どこを切ってもドウショウモナイの金太郎飴です。

本当の本当の本当ぉ〜〜〜〜〜〜〜〜のところ、目的は何なのでしょう。

誰もがそれぞれに幸せであってくれればよいのですが。

 

(再掲ここまで)

 

「学園棋神伝マインドル」完成版は以下のページで盛大に愛を込めて公開中ですヨ〜。

↓↓↓ www.site-a.info

ゲーム制作日誌再掲:2019/05/19 より

■ 制作日誌再掲:2019/05/19 より(http://www.site-a.info/text/2019-05-19_0.html

マインドルの対戦パート作成

学園モノと言えばキング・オブ・マインドラーズ。



これだけでは少々ムサ苦しいのでもう一枚。



はい、そんな感じで件数多めだったキャラ3ルートの対戦イベントも実装完了!
と思ったらもう一件残っていたのだった。
対戦イベントというか、序盤に「次の一手問題」のシーンがありまして、後回しにしていたのを忘れておりました。
というわけであと一息! ぜーはーぜーはー。おっと二息ついてしまったじゃないか。

ようやく対戦シーンのスクリプト作成の要領がつかめてきて作業がノッてきたと思ったら間もなく終了。
その理屈でいくと、死ぬ直前が人生最高のノリノリタイムということになるのでしょうか。実に楽しみですね。わくわく。
この勢いで完成に向けて突き進んでいきますよ。

と、作業の方は絶好調この上ないのですが、今週はパソコンのOSを新しいバージョンのものに入れ替えていて大変でした。
こんな週ぐらいは7日と言わずせめて70日ぐらいあってくれてもいいのにな。この世とは待ってくれない世界のことなのでした。
新バージョンが出たと言われてもワクワク感なんて正直全然なくて面倒くさいだけなんですけど、
セキュリティが云々と言われれば逆らえません。親切な人に密かにパソコンを操って作業してもらうのはまたの機会です。

Linux Mint17.2から間をすっ飛ばして19.1に。
性能大幅アップ! などということはなくほぼ同じというのは予想どおり。
ビミョーーに操作感覚が変化しててむしろ神経が削られるのも予想どおり。
強制的に不器用にさせられた気分ですが、少しずつ慣れていくしかありませんな。
唯一意表をつかれたのは以前とまったく同じバグが残っていたこと。そんなところで意外性を見せてくれるとは侮れません。

そして予想通りコミPo!が起動しなくなってマインドルのビルドも通らなくなってましたが、
予想通りイロイロがんばってどうにか解決できましたよ〜。めでたしめでたし。
コミPo!はもう使わないかな? 今まで動いてくれてたのがラッキーと思わなければなりませんね。ありがとうございます。

コミPo!はさておき、ビルドの件は少し心配です。
予想していたこととは言え、ちょっと環境が変わっただけで意味不明なエラーが出まくるようでは
最終的な成果物のリリース作業が思いやられます。共有ライブラリが不整合とかそういう類の面倒くさいやつ。
結局Windows専用にしてしまうのが一番楽なのかな。私も皆さんも。
なんかくやしい。コンチキショ〜。

ともかく今は完成に向けて前進あるのみですよ。
一日も早くあなたのお手元に届けたい。

今日もあなたが幸せでありますように。



それにしてもこの世は御しがたいな。
一人の人間の意志を飲み込んで押し流す「世の流れ」というやつは一体何なのでしょう?

現象だけを見れば、そこには人間がいるだけです。複数の人間がいる。それだけです。

この世に2人しか人間がいないのだとすれば、話はわかりやすい。
たとえば私とあなたがいて、何か意見が対立するとする。
で、どちらか片方の方が立場が強かったりする、と。
あるいはそのときどきによって、私の意見が優先される場合もあれば、あなたの意見が優先される場合もあるでしょう。

わかりやすい。

で、この世全体というものもその延長に過ぎない、はず、と、見た目には見えるのではありますが、
単なる「複数の個の和」を超えた、得体の知れない何か、があるように思われてなりません。

神の見えざる手、という言葉がありましたっけね。
その神とやらが善なる存在ならば、その手に任せておけばいいのかもしれません。
いわゆる世間の道理とやらに任せておけばいいというやつです。
みんなの大好きな常識ってやつです。なんやかんや言って世の中うまくいくようになってんのさ、とかなんとか。

だから、そこが怪しい、という話。

何らかの「見えざる手」はあるように思えてなりません。
が、しかし、そんな神さまがいるようには思えません。いるとしたら悪魔です。
強力な、ドウショウモナイ、得体の知れない、何かがある。


> で、この世全体というものもその延長に過ぎない、はず、と、見た目には見えるのではありますが、

「そのはずなのだから、人間一人一人の意志で世界をより良くしていこうぜ」的な話が散発的に持ち上がる。

しかし、そのたびに我々は挫折してきたのではなかったか。

しまいには「苦しむことに意味がある」みたいなことを言い出す始末。
本当にドウショウモナイ。

恐るべきは、そのすべてが人間の手で行われているということです。
いくら見えざる悪魔の手があるかに思えても、現象としてはすべては人間の手で行われている。
それ自体は否定しようのない事実です。
悪魔自身が姿を表して直接手を下すことはない。そういう仕掛けになっているらしい。

そういう悪魔のようなものが「いる」か「いない」か、という議論をしてもあんまり意味がないのですよ。
そんなことは無用な争いなのであって、それこそ「思うツボ」ってやつです。
かと言って「人間一人一人の意志の力で……」的な話が常に挫折するというのもまた事実。
何か、こう、人間外の存在を認めるざるを得ない気がするのですよ。
そこを全否定して純粋一途に「人間一人一人の意志の力で……」とばかり言い続けるだけでは同じことの繰り返しです。

「オカルトにのめり込む」のでもなく、「常識的」になりすぎる、のでもなく、
言葉どおりの意味での「現実的」な方図というものがあるような気がいたします。

現代にふさわしい現実的な「悪魔学」。
悪魔学」などというと、いかにも中世的なおどろおどろしい迷信じみたものがイメージされてしまいそうですが、
そうではなく、現代的な感覚での、実用的な研究があってもいいというか、むしろ必要なのではないのか。
センショーショナルに「爬虫類人間は実在した!!!」とか何とか、そんなんじゃなくて。
人間外の何らかの存在というものを明確に仮定した上で、対処方法や進むべき方向を模索するような態度。

この「ドウショウモナサ」を超えていくことができるとすれば、そういうような何かではないのか。

 

(再掲ここまで)


「学園棋神伝マインドル」完成版は以下のページで盛大に愛を込めて公開中ですヨ〜。

↓↓↓ www.site-a.info

ゲーム制作日誌再掲:2019/05/11 より

■ 制作日誌再掲:2019/05/11 より(http://www.site-a.info/text/2019-05-11_0.html

マインドルの対戦パート作成

学園モノと言えば真剣マインドル対決。



立ち絵作業の序盤のときに頑張って用意した懐かしの着衣乱れバージョンのブレザーです。
ちょっとキミたちには過激すぎるかな〜? 鼻血でキーボードが壊れちゃうかな〜?
と心配だったので、胸の谷間は描き足さないことにしました。私は本当に慈悲深いですね。
絵が描けないのでこれが限界というのも粋な巡り合わせと言えるでしょう。言えるらしいですよ。やったね。

というわけでキャラ3ルートの前半まで対戦イベント大体実装完了。大体って何だ。自信がないのか。

キャラ3ルートはルート自体が長いということもあって、対戦イベントの件数も最多です。
来週までに残りの分も終われるかな?
元気があれば終われる見込み。元気があるかどうかはわからない見込み。未知の可能性に高鳴る鼓動が抑えられません。ハラハラドキドキ。

実際、予想以上に気力がなくなって未知の領域に突入するなんてよくあることですので、
自分が常に元気なつもりで作業の見積りを立てていると宇宙空間で道に迷ってしまいます。
なお、道だけに未知、などと言うつもりはほんの少ししかありませんでした。ご了承してね。

それにしてもこれからどうしようかな。
今にも完成しそうな気もしつつ、まだまだいつまでも完成しなさそうな気もしつつ。
残りの作業はどれだけあるのか?
客観的に考えて、そんなに大きな作業は残ってないハズ。
しかしちょっとした作業と見せかけて予想外に時間がかかってしまったりもするので油断なりません。
そもそも私が10人ほどいればとっくに完成しているハズだったのですよ。
ところがなぜか、広大な宇宙のどこを探しても私が1人しかいないという摩訶不思議なことが発生してしまっておりますので、
すでに予定は狂いに狂っているというわけです。
この宇宙が一体全体どうなっているのかさっぱりわかりません。あなた方への愛だけが道しるべです。



それにしてもこの世は闇ですね。
どこにも希望がありません。絶望あるのみ。

個々別々の問題に関して、個々別々に考えて「これが正解」というようなものは、ある程度得られたりはするわけですが、
たとえ、それが、いくら、「根拠のある」「確実な」ものであろうとも、結局のところ、
「そうは思ってない人(たち)」が世間に一定数いらっしゃり続ける、という状況は変わらない。

「そういうふうに」しかなりようがない。

そういうふうにしかなりようがない中で、個々別々の問題について「正しい考え」のようなものを
個人的に追求しても「そういうふう」な中の一つにしかなりようがなく、
またはそれを世間に向けていくら啓蒙しようとしたところで、
やっぱり、「そういうふうに」しかなりようがない。せいぜいSNSが炎上するだけ。

「人によっていろんな考え方がある」などとは言いますが、
実際はそんなご立派なものじゃなく、
「人によっていろんな思い込みがある」という程度のことです。

逆に、そういう中で下手に「考え」なんてものを持ってしまうと、ケンカの元にしかならなかったりする。
メリットがあるとすれば、せいぜい、トラブルが起きて議論になった場合に議論に勝てるかもしれないという程度のこと。

じゃあ「考え」ない方がいいのかと言えば、そんなハズはない。
そもそも、なんで「考え」るのかと言えば、解決すべき問題がある(あった)からです。
しかし「考え」た挙句にケンカになっているようでは何がなんだかわかりません。
「考え」れば、「考え」が元でケンカになり、「考え」なければ「思い込み」が元でケンカになる。
もう絶望するしかありません。

こういう「人の世の構造」が変わらない中で、いくら個々別々の問題に対する個々別々の対処方法に習熟したところで、
同じことの繰り返しにしかなりません。

愛し合うことはできないものなのかな。せっかく同じ時代に同じ地球上に生きているのに。
一体何をしているのか。

何を「考え」るのもバカバカしい。何かを「考え」るなら、愛し合う方法を考えたい。
しかしそれも結局、「考え」になった途端、ケンカの元になるような予感しかしません。
Aと言えば誰かがAじゃないと言い、Bと言えば誰かがBじゃないと言う。どこにも希望がない。
宗教戦争か、さもなくば、弱肉強食か。
どっちも嫌ですよ。仲良く焼肉定食を食べられたらいいのに。おっと私は肉食べないんだった。いやたまには食べますけど。
誰とも戦いたくないな。
一番いいのは死ぬことですが、この世にいることに何らかの意味があるとするならば。

考えでもなく、思い込みでもなく。
じゃあ、せめて、お祈りでも。

今日もあなたが幸せでありますように。
今日すれ違いざまに私を怒鳴ったおばちゃんが幸せでありますように。

 

(再掲ここまで)


「学園棋神伝マインドル」完成版は以下のページで盛大に愛を込めて公開中ですヨ〜。

↓↓↓ www.site-a.info

ゲーム制作日誌再掲:2019/05/04 より

■ 制作日誌再掲:2019/05/04 より(http://www.site-a.info/text/2019-05-04_0.html

マインドルの対戦パート作成

学園モノと言えば同意を得て指し手を進める。



一手ごとにセリフを言いながら、10ターンぐらい会話を続ける試合がありましてですね、
最後まで言い終わらないうちに勝負がついてしまっては困るというドキドキのシーンとなっております。

どのように困るかと言うと、そういうケースは想定していないので、文章がつながらなくなります。

主人公(プレイヤー)が途中で負けた場合は負けセリフに変化して終了、ということで、つじつまは破綻しないのですが、
AIの側が途中で負けてしまうようなことがあると、会話のつじつまが合わなくなってしまいます。これぞドキドキ。高鳴る鼓動を抑えられない。
そんなに速攻で勝ててしまうパターンは多分ないと思うんですけど、もしあったらご愛嬌ということで。

というわけでキャラ2ルートの分も対戦イベント実装完了ですよ。うむ。順調。
あなたのお手元にマインドルのある日常をお届けできる日もそう遠くありません。素晴らしいことですね。

現時点で気がかりなのは、対戦イベントの難易度です。
さしあたりAIの思考内容はあんまり気にせずに、イベントとしての体裁だけを鋭意整え中なのですが、
なんか、動作確認してて、全然勝てないのですよ。こんなに強かったかな?
私の知らないうちに上達したのでしょうか? そんなハイカラな機能はつけてないハズ。
私の知らないうちにハッキングされて改竄されたのでしょうか? なにぃ〜。そうだったのかぁ〜。
私が寝てる間に作業のお手伝いをしてくれるなんて親切な人もいるものですね。世の中捨てたもんじゃない。

したがいまして、ここ最近は積極的に眠るよう心がけております。
眠ることは無駄ではありません。
その証拠に、寝れば寝るほど対戦イベントのAIに勝てなくなる。
おかしいな、こんなハズでは。よし、もう一眠りしよう。

どうしようかな。現役の頃はもっと簡単に勝ててたはず。むしろAIを強くできないことを気にしていたはず。
今は現役じゃなくて何なのかはさておき、ちょっとブランクが生じるだけで、こんなに勝てなくなるなんて。

多分、ビミョーな加減だと思うのですよ。
勝てるときには簡単すぎて困ると感じ、勝てないときには難しすぎて困ると感じる。
若いうちは自分が若くて元気だということに気付かないものです。若さという罪。なんの話だ。

若さはさておき、対戦イベントがクリアできなくてストーリーの続きが読めないというお友達が出ないようにしたいものです。
人によると思いますが、この手のゲームに苦手意識があって「こんなのあたし無理!」になってしまうと、もうお手上げだと思うのですよ。
とは言うものの、こういう内容のゲームにした以上、ある程度は仕方のないところなのかな。

どうしても無理だったら「マインドルが勝てなくてストーリーが進みません!」とSNS的なもので雄叫びを上げてくれれば、
それをキッカケに普及度が高まる……とかいう炎上商法まがいの腹黒い作戦を考えているわけでは1ミリもありません、
と思ったのですが、なかなかの名案ですね。おぬしはワルかっ!

うまい具合に序盤から少しずつガイドしていけるようなレベルデザイン?にできればよかったのですが、今更どうにもなりません。
そこまで計算して全体的な構成をするような余裕はまったくなかったものでして、
本文の都合に合わせて散発的に対戦イベントが入っているのみとなっております。

で、ちょっと思いついたのですが、本文とは別に各キャラと対戦しまくれる「放課後モード」なんてのはどうか。
なんてのはどうか、なんて、気まぐれな思いつきで作業を遅らせる悪い子はどいつだ!

せめて難易度を変更できるようにしてはどうか? そんな面倒な。面倒なのかよ。
しかし「せめて」と言いますが、実際やるとなると結構面倒ですよ?
誰かうちのパソコンをハッキングして代わりに用意してください。

あ、今思いついたのですが、対戦イベントを「オフ」にして、全て文章に置き換えた「純粋ノベルモード」なんてのはどうか。
なんてのはどうか、なんて、勝手な思いつきで作業を遅らせる悪い子はどいつだ!

と、そんな感じで懸念事項を多々残しつつ、とにかく「完成!」と言い張れる状態を目がけて土煙上げて邁進しておりますよ。
残すところはあとキャラ3ルートの対戦イベント群と……他にも何かイロイロあったような。
プロローグとか、エンディングのムービーとか。
あっ、チュートリアルもいりますよね? 私は慈悲深いのでチュートリアルなしだなんて考えられないことです。
他にもなんやかんやイロイロありそうで、考えただけで命がいくつあっても足りなくなりそうです。困ったな。
やはり誰かにうちのパソコンをハッキングして代わりにやってもらうしかなさそうです。
常時接続で寝ながらお待ちしております。寝ながらかよ。




さて、思うとことはいろいろあるのですけれども。
私が何を言ったりヤッたりしても、結局どうにもならない、という事実がある。
考えの中身がどうであろうと、世間の空気に合致しないものは話を聞いてもらうことさえできず冷笑や侮蔑の的となるばかり。
その挙句、「わかってもらう努力が足りない」とか言い放つのだからたまりません。
聞く耳を持たない代わりにツマランことを言う口だけはあると見える。このやろ〜。

とは言え、「私なんかが何を言ったってどうせ何も変わらないんだから……」
などと卑屈に大人びて諦めるなどというのは、どんなことがあろうとも、この私の選ぶ道ではあり得ません。

しかしながら、この「私なんかが何を言ったってどうせ何も変わらないんだから……」という言葉の
意味内容自体は事実ではあります。そこに「卑屈な諦め」という感情を込めるか否かは別として、端的な事実には違いありません。
と同時に、多くの人が同じように考えて諦めてしまうからこそ、本当に何も変わらない、というのもまた事実。

じゃあどうすればいいのか?

そういえば「世論というのは誰かエライ人が作るものではなく、私たち一人一人が作るものなのだから」
というような話があったような気がします。
その言にしたがうならば、たとえ一人でも、たとえ誰にも伝わらないかに見えても、諦めずに声を上げ続けることが大切だ、
ということになろうかと思います。

しかし実際のところ、それも果たしてどうなのか?

宝くじのコマーシャルで「買わなきゃ当たらない」とかいうのがあったような気がします。
なんかもう、水鉄砲にワサビ醤油を入れて両目を狙い撃ちにしてやりたくなるようなセリフですが、
「諦めずに声を上げ続けていきましょう」などというのも、これに似ているような気がしないこともありません。

なんていうのか、

「そんなんじゃない」

んですよね。

得体の知れない「空気感」というものがある。
これは理屈とはまったく別の次元の存在・事象です。
理屈の上でいくら「正しい」かに思えることも、この「空気感」の前ではまったくの無力。

話が伝わらない相手に話をしているときの、あの「得体の知れない "伝わらなさ"」をどう考えるのか?
言語の壁があるわけではない。知能に問題があるわけではない。仲の悪い相手というわけでもない。
会話自体はできる。しかし伝わらない。何をどう言っても伝わらない。
いや、伝わらない方がまだ救いがあるかもしれません。
それよりも、一度は伝わったかに見えて、それなのに行動が変わらない、という方が恐ろしい。
あなた私の話に同意したじゃないですか。あれは何だったの?

こうしたことはかなり普遍的なことのように思われます。
特定の頭のおかしい人だけがそうなのではなく、むしろそれが「フツー」のように思われます。
頭がおかしいかどうかで言えば、むしろ私こそが頭がおかしいということになるのでしょう。

頭のおかしさコンテストがしたいだけなら、いくらでも負けてあげますけど、
こういう「伝わらなさ」を一体どう考えればいいのか? 得体の知れない何かがある。

得体の知れない、とは言うものの、当たり前と言えば当たり前ということになるような気もいたします。

たとえば何か、世間で行われていることについて問題を指摘して「もっとこうするべき」と言うとする。
その考え自体が「考え」としてどんなに「正しい」ものだとしても、
「なるほど。たしかにキミの言うとおりだ。ヨシ! 今からそのとおりにしよう!」
ということにはならない。なるわけがない。そりゃそうだろ、という感じはいたします。
が、なぜそうなのか?
だって、「正しいこと」なのに、そのとおりにならないんですよ?
つまりこれは、世間というものは「考え」の「正しさ」とは別の何かで動いている、ということの端的な証拠と言えるでしょう。

ではさて、その「別の何か」とは一体何なのか?
はい。まさに得体が知れません。

当たり前と言ってしまえば当たり前かもしれません。
たとえどんなに「正しいこと」だとしても、無名の個人が何を言っても世の中が変わるわけがない。
いや、有名な個人だとしても程度問題で似たようなものでしょう。個人ではなく法人だとしても同じこと。
そりゃそうだよな、ってなもんです。まさに当たり前。
しかしその当たり前は、実際のところ、一体全体、どのように当たり前であるのか?

だって、「正しいこと」なのに、そのとおりにならないんですよ?
「世間の空気」に合致することであれば、大して考えもせずに言ったことでも
「よく言った! スバラシイ! 拍手喝采ぃ〜!」と歓迎を受けることでしょう。何かのボタンをポチポチ押してもらえることでしょう。
しかし「世間の空気」に合致しないことは、いくら深い考えに裏打ちされたことであろうとも、いくら「正しい」ことであろうとも、
冷笑と侮蔑の的となるばかりです。あわよくば「まぁそういう考えもあるかもね」程度の同意の反応を引き出せたとしても、
その考えが実行に移されることはなく、1分後にはすっかり忘れられていることでしょう。
それ以上主張を続けたところで「はぁ? まだ言ってんの? いい加減大人になれよ!」などと言われるのが関の山。
そりゃそうだよな、ってなもんです。まさに当たり前。
で、だからこういう当たり前が、実のところ、どのように当たり前なのか?

「考え」が、その「考え」自体の「正しさ」では判断されない。
「世の中そういうもの」らしい、ということは「理解」はできます。
私以外のみなさんも、「理解」はしてらっしゃることでしょう。おそらくは私以上に。
ただ、実際、なんでそうなのか、というのは、実に得体が知れないと思いませんか? 思いますよね? え? 思わない? このやろ〜。

「本当に正しい」ことなのだとすれば、たとえ無名の個人が路地裏でボソっとつぶやいたのであっても、
それを聞きつけた小鳥さんがちゅんちゅんと森のお友達にお話して、一夜のうちに世間を席巻するハズ。
しかし、そういう話は聞いたことがありません。
むしろ「正しくない」ことが一夜にして大炎上、という話なら頻繁に聞くのですけど。
それとも、そうならなかったということは「正しさ度」が足りなかったということナノダ、とでも言うのでしょうか?
後出しジャンケンをするとは、おぬしはワルかっ!

原理は不明ながら、いかに正しいことであろうとも、
「現状の空気感」に反することが理解されるには「時間がかかる」ものであるらしい、とは理解はできます。
どうしてもと言うなら地道に賛同者を集めて運動を展開して潮目(空気の流れ)が変化するのを待つしかない、
ということなのだろうとは思います。
いかに「正しい」ことでも、そういうふうにしか「伝わらない」ものなのであろう、とは理解はできます。
「現実的に言って」そうなのだろうとは理解はできます。

しかし、やはり奇妙です。
そのような形で「地道に」理解されたもの、というのは、結局のところ、「空気が変わったから」理解されたに過ぎません。
「考え」の内容自体が正しいと判断されたというわけではない。
そのような形で結果的に理解されたということは、つまりそういうことなのであり、この点は相変わらずです。

これが「当たり前」だと言うならば、大多数の人々は自分の頭で物事を判断できないおバカさんばかり、と言っているのと同じことです。
善良な常識人と見せかけて、なかなか大胆なおクチをお持ちのようですね。さすがはワルよのぅ。我、感服せり。
たしかに、ある程度はそういう面はあるのかもしれません。
しかし、義務教育が行き届いて大多数のお友達が読み書きできる我が国でさえそれが「当たり前」だというのは、
やはり、シンプルに言って、「なんかへん」です。

もう一回言います。
「なんかへん」ですよ、これは!

もちろん、いろいろと「説明」はできると思いますよ。
「一人一人考え方が違う」だとか「何が正しいかなんて誰にも判断できない」だとか
「人がたくさんいて個人の発言なんて埋もれてしまう」だとか、
いろいろと「説明」はできると思いますよ。
ただそれも結局、ワルなあいつお得意の後出しジャンケンですよ。
そうした「説明」の一つ一つは、それなりには「そういう面はある」と言えるのかもしれませんが、
それだけで、本当に、この「得体の知れない」「空気感」の正体を突き止めたゼ!
などとは、到底言えるものではないように思います。

なんか、「そんなんじゃない」んですよ。
それこそ、「悪の宇宙人が地球人を洗脳していて……」などと言いたくなってしまうほどの、圧倒的な「何か」がある。

宇宙人とまでは言わないにしても、人々に「自分の頭で判断する」ことを促すような運動って、よくありますよね。
詳しくは存じ上げないのですけど、たとえば「今こそ目覚めよ!」とか、なんかそういうノリのやつ。
で、たしかにおっしゃるとおり、世間の空気に流されずに自分の頭で判断しましょう、というのはそのとおりだと思うのですけど、
じゃあ、なんで、最初からそうなってないの?
「大多数の人間がそうはなっていない」と言う、その「現状」は、なぜそうなのか?
結局のところ、人間って何なのですか?
複数の人間が「いる」じゃないですか。
それぞれ別個に「頭」を持ってるじゃないですか。
そのはずですよね。もともと。
そのはずなのに、そのはずなのに、そのはずなのに、この「空気」とか言うやつは、一体何なんですか?

あ、ふと思ったんですけど、
「もし一人一人が独自に自分の頭で考え出したら、それこそ一人一人 "考え方が違う" のだから、特定の "正しさ" が伝わるワケがない」
とかいうことになるのかな?
たしかにそうなんですけど、それは「反対側の極端」というものですよ。
それとは「逆の極端」があって、そして、現状はそれに近いものがある。

そもそも、なんか、「それ以前」なのですよ。
だって、じゃあ、一人一人自分で判断し始めたら収拾がつかなくなる「から」そうならないために、
みなさんご自慢の慈悲の心で、ご自分の考えを「ガマン」してらっしゃる、とでも言うのですか?
そもそも、なんか、「それ以前」なのですよ。

話は尽きませんが、これ以上言うと失礼な話になりかねませんね。
私は何も、みなさんが自分の頭でモノを考えることのできないおバカさんだなんて言うつもりはほんのちょっぴりしかないんです。
知ってのとおり慈悲深い私のこと。あなた方一人一人を愛しておりますし、あなた方一人一人の生き方を大切にしたいと思っております。
それだけは忘れないでいただきたい。外出後に玄関の鍵を閉めたかどうかを忘れても、それだけは忘れないでいただきたい。

だからこそ、ですよ。だからこそ、現状を「見てらんない」わけです。

だってですよ、私が悪しき心の持ち主だったらこんな話はしていない。
こんなことを考えてるヒマがあったら
「人間なんてバカばっかりなんだから、うまい具合に煽って利用したモン勝ちだぜヒャッハー!」
ってなもんですよ。
実際その手のグリモワールは世間に溢れてるでしょう? エロイムエッサイム。まったく便利な時代という他ありません。


というわけで、この宇宙が一体全体どうなっているのか、相変わらずさっぱりわかりませんが、
私からあなた方への慈愛が止まるところを知らないというのも相変わらずでございます。よかったのぅ皆の衆。

今日もあなたが幸せでありますように。



 

(再掲ここまで)


「学園棋神伝マインドル」完成版は以下のページで盛大に愛を込めて公開中ですヨ〜。

↓↓↓ www.site-a.info

ゲーム制作日誌再掲:2019/04/27 より

■ 制作日誌再掲:2019/04/27 より(http://www.site-a.info/text/2019-04-27_0.html

マインドルの対戦パート作成

学園モノと言えばマインドルのある日常。



前回までで特殊モードへの対応が完了し、あとは本文で指定されている通りに対戦パートをスクリプトに落とし込んでいくのみ。
というわけで早速、キャラ1ルートの対戦パートがすべて完了しましたよ。
おっ、まじですか。一瞬たりとも立ち止まらない。高速邁進。電光石火。まさにハイペース!
と見せかけて、キャラ1ルートは対戦イベントが7件と少なめ。
つまり日割計算すれば、対戦イベント一件ごとに丸一日かかってしまっていることになります。
これが果たしてハイペースの名に値すると言えるでしょうか? ぐぬぬ……おのれ日割計算め!

仕様は固まってるわけですから、あとは単純作業。
当初の予定では「実装するぞ」と念じさえすればたちまちドロンッ! と出来上がるハズだったのに。
いくら念じてもドロンッ! とならないなんて、一体どうなっているのでしょう? 何者かの不穏な気配を感じずにはいられません。

そんな感じで微妙にモタついてはおりますが、確実に進んではおりますよ。
ここまで来れば、急ぐ必要はないのだから無理せずにマイペースで……と言いたいところですが、そういうわけにはイキません。
なぜなら一日遅れるということは、あなた方がマインドルのない日常を過ごさねばならない日々が一日伸びてしまうということです。
本当は私だって少しは休みたい。
しかし、ここまで来たからこそ、ここで立ち止まるわけにはいかない。
これというのもあなた方を愛するからこそ。私は本当に慈悲深いですね。

日々はするべきことに溢れているようにも見えますが、結局、この作業を進めることをおいて他にするべきことなどあるはずもありません。
一日も早くあなた方のお手元にお届けできるよう、ガンバッテまいりますよ。



それにしても先週に引き続き「空気」です。
先週どころか悠久の昔から引き続いており、今後も延々と引き続いていくものと思われます。見通しは暗い。

たとえどんなに「正しい」と思われることでも、「空気」に合致しないことは受け入れられない。
特に、「現時点で誰もやっていないこと」は、それをするというような「空気」が存在せず、したがって受け入れられる余地もない。

世間にはさまざまな社会問題があり、
今日もそれぞれの現場でそれぞれの人々がそれぞれの信じる「正しさ」に立脚してそれぞれにそれぞれの日常を生きていることでしょう。

が、個々の問題に個々に取り組んでも同じことの繰り返しにしかならず、
根本的には世の中の仕組みの側を変えないことにはドウニモナラナイ。
そういうことってあるはずです。

具体例をあげた方がいいのかもしれませんが、
具体例をあげると、個別の問題の個別の「しがらみ」に引きずられて、自由にモノが言えなくなってしまいます。
それに、これは個別の問題ではない。もっと根本的なことです。

> が、個々の問題に個々に取り組んでも同じことの繰り返しにしかならず、
> 根本的には世の中の仕組みの側を変えないことにはドウニモナラナイ。
> そういうことってあるはずです。

現状の仕組みの中で個別の問題に個別に対処しようとしても、
それは結局、
現状の仕組みの中で個別の問題を別の問題へとスライドさせて組み替えているに過ぎず、その場しのぎの対処以上のものにはなり得ない。
誰かが勝てば誰かが負ける。現時点で「負け」ている人を「勝て」るようにしたところで、
別の誰かが代わりに「負け」るようになるだけです。
そういう仕組み自体を変えない限り、いつまでも誰かが苦しみ続ける。
「負け」の側に割り振られた人だけが苦しいわけではない。
現時点で「勝って」いる人も、全体の仕組みが変わらない限り、いつでも「負け」に転落する可能性がある。
「負け」を押し付け合う椅子取りゲームが加熱するに至り、いよいよ苦しみが遍く一切に及ぼされることとなる。悪の普廻向が始まる。

結局、仕組み自体を変えないことにはドウニモナラナイ。
個々別々のケースの個々別々の現場にいる個々別々の人々に向けての、
「こうすればいい」「ああするべき」「そんなことをしてはいけない」「そんなんだからダメなんだ」
などという「親切な」アドバイスは、椅子取りゲームを加熱させるものでしかない。

しかし「仕組みを変える」という話は、いつだって抵抗にあう。
現状で得をしている側が妨害するから、というのも事実に反している。
なぜなら、現状で損をしていて仕組みが変わった方が得をするはずの人々までもが、こぞって抵抗に参加するからです。

どうやら、つまり、それは「空気」に反することであるらしい。
仕組みを変えなければドウニモナラナイということは反論の余地のない事実であり、
その前提で「じゃあ、こうしてはどうか、ああしてはどうか」という提案はいくらでも可能です。
しかしそうした提案の内容自体がどんなに筋の通ったものであっても、
「現状はそうなっていない」以上、それは「空気」に反することであり、受け入れられる余地がない。
そもそも、提案の内容以前に、そうした「仕組みを変える」提案をするということ自体が「現状はそうではない」のであり、
すなわち「空気」に反しているのであり、受け入れられる余地がない。道は入り口から閉ざされている。
内側に広がる迷路は巧妙に閉じており、その中を歩く者にさまざまな景色を見せつつ、出口はどこにもない。

現状、ドウショウモナイ仕組みになっている、とする。
それに対し、「仕組みを変えてこうすればいい」という提案がある、とする。
それ自体を見れば、どう考えても良好な案であるような、そのような案である、とする。

それを人々に伝えれば間違いなく賛同が集まるであろうと思われる、魅力的で希望に満ちた提案。
提案はすぐにでも実行に移され、間もなく仕組みは変わり、問題は解決するであろう。未来は明るい。と、思われる、とする。
しかし実際はそうはならない。強力な抵抗にあい、明るく見えていた未来は途端に闇に閉ざされる。

まず、気付かなければならない事実がある。
今までずっと「そう」だった、ということです。
今までずっと「その仕組み」の中で人々が生きていた。
今までずっと「それ」を変えようということを誰も言い出さなかった。
だからこそ、現状「ご覧のとおり」となっている。
言い出した人ぐらいはいたのかもしれませんが、実行に移されることはなかった。
だからこそ、現状「ご覧のとおり」となっている。

その「変えよう」という提案の内容は問題ではない。
内容自体を見れば、それ自体はどう考えても良好な案なのでした。
現状に問題意識を持って、「こうではなく、どうだったらいいか?」ということを少しでも考えれば、
誰だって必然的に同じ結論になるであろう至極当然のアイデア。斬新でもなんでもない。

にもかかわらず、誰一人それを言い出さなかった。誰一人それを実行に移さなかった。
だからこそ、現状「ご覧のとおり」となっている。

この事実!

現状が「ご覧のとおり」であるという、その事実から読み取ることのできる、おそるべき現実。

問題を抱えた現状の仕組みの中で、日々「あーだ」「こーだ」言いながら、
誰一人、そうした仕組み自体を変えようということを言い出さなかった、ということ。
延々と同じことが続けられてきた。
言い出した人ぐらいはいたのかもしれない。
たとえば「おまえみたいなことを言うやつは今までに何人も見てきた」などと言う言説がマニュアルに載っているのはご存知のとおり。
しかし、仮にそうだとするなら、そうした案を聞いて、知っていながら、それでも! 同じことを延々と続けてきた、ということ。

この事実!

まずは、この、おそるべき事実に戦慄するところから始めねばならない。ガタガタブルブル。

この世がこのようであるという事実。
現状が「こう」いうものとして目の前に厳然と現前するという事実。
これらのダジャレにまずは戦慄せねばならない。もう春だというのに今年の寒さには震えが止まりません。ガタガタブルブル。

この世が「このよう」であるということを規程する何らかの力が存在している。
トナールの境界を規程する力の輪が存在している。

その力の輪が結合させている場所が、とどのつまり、我々が生きる、この世、なのでした。
無限の宇宙空間の一角の、「空気」が集まる重力場
そここそが、とどのつまり、他でもない、我々の生きる、この世、なのでした。

この重力場に、この力の輪に、まずは戦慄しなければならない。
この、ドウショウモナサに、ともかく戦慄しなければならない。

これは決して、この世が存在していて、その中に人々がいて、たまたま今はそうなっている、
というのではなく、
そもそも、この世が存在しているという時点で、それはもう、「このよう」であるということなのではなかったか? なお、ダジャレです。
仮にそうした「力の輪」が存在しないとすれば、そもそも、この世が存在することもない、ということなのではなかったか? あ、ダジャレにならない。

だから、たとえば、その「力の輪」というものにかかり、
人々を「力の輪」の束縛から解放して自由をもたらして云々……などのように考えるとするならば、
その考えは根本的にオカド違いということになるでしょう。
なにしろ「力の輪」がなくなれば、この世そのものが消滅するハズだからです。
この世の存在に先立つものとして、そのような「力の輪」があった。
すなわち、「力の輪」によって結び合わせられて、この世がこのよう(ダジャレ)なものとして存在しているという時点で、
この世は、そもそものハジメから、このようであるというダジャレなのであり、
今後とも末永くこのようであるという、これまたやはりお馴染みの同じ道というダジャレ街道が無限に続くのみなのではなかったか。

「なのではなかったか」と言いました。
「こう」であることは、何か、そもそもの初めから、知っていたことであるような気がします。
いや、そうでもないかな。この感じはなんなのでしょう?

それにしても、そうとわかった上で、ではどうするのか?
この場所を放棄して宇宙へ旅立つのか、さもなくば、「力の輪」の中で生きていくのか。

問題は、ここで生きる以上、この「力の輪」の影響力から逃れられないということです。
そして、その「ドウショウモナサ」に戦慄せざるを得ない。ガタガタブルブル。

いわゆる「言論の力」を信じる立場からは、この「輪」を作っているのもまた、そこにいる人々の力である、ということになるでしょう。
が、果たして本当にそうなのか? まったくそうではない、ということではないにせよ、果たしてどの程度のものなのか?
「言論の力」と、この世の境界を規程する「力の輪」。
「正しいことを粘り強く訴え続ける」という程度のことで、このドウショウモナイ「力の輪」に、果たしてどこまで食い込めるものでしょう?
この「力の輪」は、実のところ、何かもっと、別のところに由来しているのではなかったか?

それが何なのか、というのは、実のところ、すでに知っていることなのではないかという気が、してしまったりもする。
そして、その魔術を使いこなす人間にもまた、心当たりがあるのではなかったか?
自分の手足のように、生まれ持った当たり前のものとして、そうした魔術を使いこなす人間に、心当たりがあるのではなかったか?
そして、そうした人間の目の奥に、いかなるものも読み取ることができない、ということもまた、周知のことなのではなかったか?

「目を覚ます」ことで忘れてしまうものがある。
そして、おそらくは、すべてを愛していたはず。
ここで一体何をしているのか?

さしあたり、何度でも言っていきましょう。

今日もあなたが幸せでありますように。

 

(再掲ここまで)


「学園棋神伝マインドル」完成版は以下のページで盛大に愛を込めて公開中ですヨ〜。

↓↓↓ www.site-a.info